番組制作者の声
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テレビ東京
制作局CP制作チーム主事
高橋弘樹さん
メディアに興味を持ったキッカケ
ものを書きたい、ものづくりをしたいと思っていました。でも小説家になるほど勇気はなくて、研究者になるほどの余裕もなくて、テレビって台本書いたり、ナレーション書いたり、ものづくりができると思ったんですね。
テレビはNHKスペシャルとかよく見ていて、生物のドキュメンタリーを見て高校の生物部に入ったり、中国のドキュメンタリーを見て大学では中国語のサークルに入ったり、人生のターニングポイントでテレビの影響を受けてきたので、人に影響を与える作品を作りたいなと思いました。
テレビ東京に入って
主な民放とNHKの入社試験を受けたら、テレビ東京からだけ内定通知が届いた。配属はバラエティーでした。元々ドキュメンタリーをやろうと思っていたのですが、4年ぐらいバラエティーで笑いを学んでから報道とかドキュメンタリーに行こうと思っていたところ、やってみたらバラエティーがすごく面白くて、そのまま続いています。
最初の担当番組は『TVチャンピオン』でした。堅い番組を作ろうとテレビに入ったのに、最初の企画が「ゆるキャラ王選手権」で、大人がアホなことやっているなと思ってめちゃくちゃ面白かったんですよ。
まじめな大学生だったので、周りの同級生は新聞社だったり、金融をやっていたりする中で、30歳ぐらいのいい大人が真面目にゆるキャラに相撲を取らせるためにルールを決めたりしている。その姿が面白くて、しかも自分でやってみたら本当に面白くて、視聴者の評判もよくて、DVDにもなったりして、真面目にふざけることが楽しくてバラエティーっていいなと思いました。
ドキュメンタリー的なバラエティー
5年目、『空から日本を見てみよう』という番組で、自分で取材をしました。ヘリから日本全国を見たり、上野公園に普通なら入れない巨大な墓地があるんですけれどもそこに入れてもらったり、普通にしていたら行けないところに取材で行けるのは面白いなあと思って、ディレクターとしてのキャリアを意識するようになりました。笑いを勉強して、ドキュメンタリー的なバラエティーをやるようになりました。
テレビって漠然と流れてしまいますけど、1時間番組は数百カットあるんです。プロデューサーにそのすべてのカットに意味はあるのか説明させられたことがあります。カメラワークとか、ナレーションの言い回しとか、パーン(カメラを左から右に振る撮影技法)するのかズームにするのか。その積み重ねによって1時間のクオリティーにつながるということに気づかされました。
バラエティーの現場へ
1年目のときは他局に負けない番組作ろうと思っていたのですが、視聴率では絶対に勝てないので、2年目で、自分たちにしかできないことをやらないと見てもらえないと思いました。いい意味で失敗が責められない雰囲気で、どんどんと自由に枠から逸脱することを良しとされていたんです。
そんな中、一から企画をしたのが2011年から土曜深夜に半年間放送した『ジョージ・ポットマンの平成史』です。自分が考えていた世界観を毎週見てもらえる。元々志望していたものづくりをして見てもらいたいというところに6年目に到達した感じですね。
3年目のとき、歴史番組をやって、伊達政宗とか秀吉とかメジャーなところを調べていたんですね。そこで、陽の当たらない歴史ってあるなと思って、この番組では特にサブカル方面に寄せていったんです。チェリーボーイの歴史とか、ファミコンの歴史とかに陽を当てたいと思ったんです。面白い研究者の方がたくさんいたんです。企画を出した際、みんなよく分からなかったみたいですが、『空から日本を見てみよう』で、何をやってもちゃんと面白く作るだろうという評価をしてもらっていたようで、企画が通りました。放送したら評判もよくて、書籍化もされたし、DVDにもなりました。自分の本やDVDが有名な本屋さんに並ぶこともあるというのもテレビの醍醐味だと思います。
「怒られたい」で欲求を全面に
『吉木りさに怒られたい』は欲求を全面に押し出した企画の最初ですね。人間を深く知るというか、人間に興味があったんですね。人はなぜ怒るのか、みたいな部分をバラエティーでやろうと。一番怒らなそうなイメージが吉木さんにあったんです。当時グラビアアイドルのトップで、本当に笑顔以外を見たことがない。だから真逆の演技をやらせてみようと、落差のあるところで笑えるのが見えたんです。
オファーしたらマネージャーが来て、話をしても意味わからなそうでしたし、最初の収録で吉木さんも多分軽く怒っていたと思います。ニコニコしていたら、突然怒って長ゼリフという台本だったので、意味がわからなかったと思います。放送されて、反響があった後は分かっていただけました。予告編から反響があって、深夜の5分番組なのにDVDにも書籍にもなって、更にNHKの報道番組でも特集してもらえましたしね(笑)。
『家、ついて行ってイイですか?』が大ヒット
『家、ついて行ってイイですか?』は、最初「奥さん見せてください」という企画だったんです。すっぴんの人妻ってエロいじゃないですか。企画出したら編成に「エロ過ぎる」って言われて(笑)。『家、ついて行ってイイですか?』に変えたんです。
撮影の時、ついて行ったら家の中にいろいろ人生ドラマがあったので、これは面白いなと思いました。収録ではおぎやはぎの矢作さんとビビる大木さんも面白がってくれて。矢作さんも以前はサラリーマンでしたし、人にも興味もあるし、一般のサラリーマンの機微やつらさなども分かっていますから。すごく優しく包んでくれて、いいキャスティングだと思っています。
印象に残っているのは、昔ビジネスホテルだった、廃墟のような建物に住んでいた人ですね。昔の大浴場にはなぜか水が溜めっぱなし。ボイラー室には、なぜかサロンパスが大量に貼られていて、所々にメッセージ性のある文字が…。人智を超えた展開に、頭が混乱しました。
そういう人を見つけるために、1カ月のべ約500班がロケに出て、1班あたり1日20人ぐらいに声をかけるので、月約1万人、年間で約12万人に声をかけている計算になります。なかなかついて行けないんですよ。
番組をやっていてうれしいことは、取材対象者や視聴者から番組の影響があったと言われることですね。取材する側って触媒みたいな機能があって、取材することで相手が変わることがあるんです。アフリカでロケをして、口唇裂という障害のある子供を取り上げたことがあります。重い話ですけど、視聴者が寄付に動くとか、番組を見ていた医師が治療に行こうと動き始めていたのです。たまたまテレビに出て人生うまくいくようになったり、視聴者も知らない国の人のために動いたりなんて、とっても素敵ですよね。
メディアを目指す若者へ
今、外国向けの番組を作ってみたいと思っています。日本のバラエティーってすごくよくできているので、このスキルは世界に通用すると思うんです。民放のテレビ局がたくさんあって、切磋琢磨しながら競争を繰り広げているのは日本ぐらいなんです。アメリカは3大ネットワーク、ヨーロッパでもそんなにないし、中国は国営放送が中心ですから。世界に通用するという意味では日本の民放でバラエティーをやるのはいいと思いますよ。
いろいろな業界を取材したことがありますが、テレビは一番楽しい。テレビは楽しいことを考えるのが仕事だし、制作現場はみんなキラキラしているし、人生すべてがネタになるし。病気とか、離婚とか、つらい経験でも笑いに昇華させるって素晴らしいことだと思う。また、見たことがないところ、人が行けないところ行けて、なかなか会えない人に会えて、それを伝えられる。多分ずっと飽きないと思う。入ってからつらい経験があっても、それがすべて企画の種になるから、頑張ってほしい。
そのためにも学生時代はそこでしかできないことをやってほしい。僕もアイヌ語やアラビア語とかやってみました。そこから得る知見とかいっぱいあって、テレビは世界すべてが企画の種だから、いろいろな世界を知っていることが武器になると思います。
プロフィール
高橋弘樹(たかはし・ひろき)1981年東京生まれ。2005年テレビ東京入社。
『TVチャンピオン』『空から日本を見てみよう』などのディレクターを経て、プロデューサー・演出として『ジョージ・ポットマンの平成史』、『家、ついて行ってイイですか?』『吉木りさに怒られたい』『ウソのような本当の瞬間!30秒後に絶対見られるTV』『文豪の食彩』などを制作。
著書に「TVディレクターの演出術」(ちくま新書)、「敗者の読書術」(主婦の友社)、「1秒でつかむ」(ダイヤモンド社)ほか。