番組制作者の声
- TOP
- 番組制作者からのメッセージ
- あいテレビ アナウンサー 高橋浩由さん
あいテレビ
アナウンサー
高橋浩由さん
メディアに興味を持ったキッカケ
少年時代から野球をやっていて、ラジオで野球中継を聞くのが好きだったので、アナウンサーには興味がありました。実は生まれも育ちも東京で、高校3年までは野球一筋で、大学はスキーのクラブに入って4年間続け、全国大会を目指したりもしました。ちょうどバブル期でしたので、就職活動では、テレビのキー局、ラジオ、広告代理店まで幅を広げてマスコミを受け、一般企業も受けましたが、広告会社の第一企画(現・ADK)に就職しました。華やかな時代だったから、楽しいことが待っているんじゃないかと思っていましたが、配属先はまさかの人事部。主に採用活動のほか、社内報を作ったり。同期は「撮影現場に行った」とか、「タレントに会った」とか…いいなあと思いながら3年半ぐらい過ごしました。ようやく営業に出たんですが、先輩方の仕事ぶりがオンもオフもエネルギッシュで楽しそうだった。その姿を見て、「果たして自分にできるのか、自分の器にはどうか」と不安に思ったんです。
なぜテレビに
その頃、別々に3人の友人から「アナウンサーみたいな話し方だな」、と言われたんです。それを機に、アナウンスの学校にでも通ってみようかと思い、1年弱通いました。ちょうどその時に、テレビ朝日の番組「ニュースステーション」のイベントで、一般人がニュースを読むコンテストがあって、そこで優勝して、本番スタジオでニュースを読ませてもらったんです。そのビデオをいくつかの局に送ったのが、あいテレビとの縁でした。入社OKが出てから、3カ月後には愛媛に行っていました。
入社して
面接の時に「スポーツしか分かりません」と言って採用してもらいましたが、晴れてスポーツ担当になった時は、嬉しかったですね。1995年の秋に、国体に出るアマチュアスポーツチーム紹介の企画をしたり、11月には高校ラグビーのシード校4校を取材したりしました。ラグビーはそれほど詳しくありませんでしたが、自分が書いた原稿に映像が乗って、ダイレクトに世に出て行くのには達成感がありました。広告会社時代の仕事はスパンが長かったのですが、テレビは、最短でその日に終わって、結果が出る。このスピード感が良かったですね。
スポーツ取材の醍醐味
愛媛は高校野球を中心に昔から「野球王国」と呼ばれていて、文化みたいになっています。プロ球団がない分、高校野球が県民の関心事で、それぞれに思い入れがあります。初めて夏の甲子園に取材に行ったのが96年でした。松山商が、あの“奇跡のバックホーム”で初めて全国制覇した時でした。松山商は「ノーヒットでも1点取ったら、それを守り抜いて逃げ切るぞ」という“堅実な野球”だったんです。それでも全国の強豪校に勝つために、ものすごい練習をする。地方が都会に立ち向かうときに知恵と工夫を凝らすというエネルギーを感じて、これが地方の生き方の象徴のようにも感じました。
野球以外でも、地方の若者たちは、都会のような恵まれた環境でトレーニングしたいと思っていても、様々な事情でなかなか地元を離れられない。そんな夢と現実の狭間に生まれるギャップが、すごいエネルギーを生み出しているように感じるんです。そこに渦巻くものを取材することが、ローカル局のスポーツ取材の醍醐味ですね。
忘れられない出会い
愛媛県瀬戸町に河野兵市さんという冒険家がいて、1997年に日本人初の北極点単独徒歩到達を果たしました。3月に出発して、5月に到達するまで一部始終を松山の遠征隊事務局に詰めて取材しました。河野さんが帰国してしばらくたった頃、「高橋君は東京に帰らないの?」と聞かれました。河野さんは「人は生まれたところに戻らないといけないと思う。鳥だって鮭だって戻ってくるでしょう」と。その4年後、河野さんは、北極点から故郷の瀬戸町に向かって走破するという冒険を企画し出発しましたが、北極海の氷の割れ目に転落して遭難されたんです。
それから「故郷とは何か」を考えるようになり、東京と愛媛をいつも比較するようになりました。愛媛にいても“都会の人はどう見るんだろう”という視点で見る。東京に行けば愛媛の人はどう感じるだろうと思ってしまう。ただそれで、地方の良さが見えてきました。自然が豊かで、その土地ならではの魅力があって、そこに住んでいる人の日常や感情に寄り添っていくことが大事で、そこに暮らしていく人のリズムを紹介していくことが、ローカル局の役割だと思うようになりました。
ローカルから世界を見る
企画や特集の原稿を書いているときに意識するのは、放送はローカルだけど「世界を感じることができる」、「可能性は無限に広がっている」という視点です。愛媛のいろいろなスポーツを取材させてもらって、国体に出る約30競技は一通り取材しました。そんなことができるのもローカル局ならではですが、いろんな競技で厳しい環境を工夫して練習していることが分かりました。例えばフェンシングでは、四国中央市の指導者が自宅を改造して作った小さな練習場で、子供たちが練習していて、そこから出場した子が世界大会に行ったりして、地域の小さな取り組みが世界につながっていくのを目にすることも少なくありません。一方的に背中を押すだけの特集ではなく、私のような東京出身者は別の角度からの目線を生かせると思いました。
“松坂の弟”を取材
野球の四国アイランドリーグが2005年から始まって、2年目に松坂大輔投手(現プロ野球・西武ライオンズ)の弟・恭平選手が愛媛マンダリンパイレーツに入ってきたんです。彼に密着して番組を作りました。その頃は兄が絶頂の時でしたが、小さい頃は弟の方がセンスあると言われていたそうです。それが、兄が甲子園でノーヒットノーランを達成し、春夏連覇を果たしてから一変した。「松坂の弟」に変わったというんです。そこで「“松坂の弟”ではなくて、“松坂恭平”だ」という葛藤を伝えたくて番組に。タイトルは「もう一度兄貴と野球を」。東京の松坂家にも取材に行きました。家には兄のトロフィーがずらっと並んでいる中で、ご両親に弟・恭平選手についてお聞きしましたが、松坂家にカメラが入ったのは恐らく初めてだと思います。お父さんともキャッチボールをさせてもらって、ローカル局でしかできない取材だと思いますね。
ローカル局として
入社当時、あいテレビはまだ1992年の開局から間もない若いテレビ局だったので、エネルギッシュな会社でした。意見のぶつかり合いもありましたが、いろいろなことで、自分の意見も通りました。私もアナウンサーで入りましたが、ニュース読みはもちろん、記者として原稿も書きますし、サブ(送出)にも入るし、カメラもまわすし、番組も作りました。
ただ昔は何でもかんでもという感じでしたが、最近はローカル局の立ち位置が変わってきたと思います。特にスマホが普及してから、ローカル局のニュースが“受動型”になっている気がします。東京で起きたことがすぐに伝わるため、その影響や反応を流すことが多くなりすぎてないか。もっと目の前に起きていることを大切にすべきではないか。それがローカル局なんじゃないか、と思うことがありますね。
スポーツ実況、そしてオリンピック
アナウンサー志望の原点であるスポーツ実況をやりたいと言って入社し、ラグビー、サッカー、野球など多くの試合中継を経験しましたが、残念ながら後輩に教える経験がまだないんです。そこが最大のテーマ。挑戦しがいがある仕事だけど、ベースとしては好きじゃないと難しい。それでも「実況中継」の緊張感、達成感はぜひ味わってほしいと思います。 あとは東京オリンピック・パラリンピックに絡む人物をさらに取材していきたい。地元からどんどん発信していきたいですね。
テレビを目指す皆さんへ
ローカル局では、地元の人はもちろん、地方出身者が故郷に戻るのも意義深いと思うので、そのエリアに何らかのルーツがある人には、ぜひ来てもらいたいですね。一方で、都会で生まれ育った人でもいろいろな発見があると思うし、縁もゆかりもなかった地に来て、地元の方とふれあうことも自分自身のルーツを見つめ直すことにもなる。地方に暮らすということで見えてくるものがあると思うので、チャレンジしてほしい。もちろんスポーツ実況を目指すアナウンサーは大歓迎です(笑)。
プロフィール
1967年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、広告代理店の第一企画(現・ADK)を経て、1995年アナウンサーとしてあいテレビに入社。スポーツアナウンサー一筋で、愛媛県内のさまざまなスポーツ取材を担当。2011年の東日本大震災の影響もあり、片道10キロの自転車通勤を始め、ロードバイクでしまなみ海道を走るのが趣味。